<ローマ編>その1)いまの

~1984年~

東京の大学を休学しデザイン留学をしていた弟を訪ねてローマへ、それが初めてのローマだった。

当時のローマは奇跡のルネッサンスと言われ街中アートで溢れていた。古代と現在とそして未来が渾然一体となった街のエネルギーに圧倒された。

8月は、毎日がアートの祭りだった。弟が毎夜、鑑賞の手配をしてくれた。1ヶ月の滞在の間にどれだけのパフォーマンスを見た事か。 楽しい思い出。

~コルセッティ~

コルセッティ

ひときわ印象に残り、その後の私の道に影響を与えたのが、ジョルジォ・バルベリオ・コルセッティカンパニーと京都の金剛流宗家―金剛巌師の薪能。いま取り組んでいるOKINAシルクロードプロジェクトにつながる。

コルセッティの出会いから、翌1985年の筑波EXPOイタリア館のナショナルデーのプロデュースの仕事を引き受けることとなり、私は、アートプロデューサーの道を歩むこととなった。

~ローマ移住 スタジオアッズーロ~

アートにかかわる何かの仕事に付きたいと願っていた私の道を決定づけてくれた8月のパフォーマンス漬けのローマの日々、そのローマこそ私の原点、ここに活動の拠点を持とうと定め、ローマへ移住して、ミホプロジェクトローマオフィスを立ち上げた。

その年、コルセッティがスタジオアッズーロとの素晴らしいコラボ作品を作り上げた。そのプロデュースを引き受け、それが又、私のライフワークとなった。

コルセッティとアッズーロ。コラボの輪は拡がった。日本はバブルまっただ中。私のバブルでもあった。3ヶ月毎に日本とイタリアを行き来した。望むことがどんどん叶い、沢山の素晴らしい人たちとの出会いもあった。

弟は日本からのCM撮影隊のコーディネートを学業とともに始めた。

私のアートへの想いは映像へとつながっていった。

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